Ludwig D. Omen 音楽を語る
音楽について?宜しい、では語ろう。
モニターヘッドフォンいついて:AKG K271S

世の中のヘッドフォンには、大別して「リスニング用」と「モニター用」とが存在する。
「リスニング用」というのは簡単に言うと、音楽を楽しむという一般的な目的に使用されることを前提に設計されている、ということを意味している。
長時間音楽を聴き続けても疲れないような音質に調整してあったりだとか、迫力のある音が出るように設計されていたりする訳だ。
一方「モニター用」というのは、音楽制作者が音を録音したり編集したりするときに、音を耳で確認する目的に使用する、その目的を果たす為に設計されている、ということを意味している。
従って、ノイズを発見し易いようにだとか、可聴域内の周波数帯域の全帯域が大体均等に聴こえる(「フラットな特性」と謂われる)ように設計されている。
また、「リスニング用」に比べて「モニター用」のヘッドフォンで音楽を聴くと、音楽がより味気無く聴こえることも多く、殆どの場合、リスニング用途にする目的で「モニター用」を買うべきではない。

私のようなDTM音楽家には、この「モニター用」のヘッドフォンが必要である。
また私は普通に音楽も聴くので、「リスニング用」も欲しいところである。
然し、二台のヘッドフォンを揃えるのはそれなりの出費だ。
而もこの「リスニング用」の値段は天井知らずで、まあ安いものもあるけれど、上を目指すと私の一ヶ月の収入全て注ぎ込んでも足りなくなることもある。
因みに「モニター用」は、大体10000円から20000円の間で十分な機能のものが手に入るが、それでも私には重大な出費だ。
まあ「リスニング用」も同じく大体10000円から20000円程度で結構良いのが買えるけれど。
また、「モニター用」がモニター用にしか使えなかったり「リスニング用」がリスニング用にしか使えなかったりするのはなんだか勿体無い気がする。

「リスニングにもそれなりに使えるモニター用」か「モニターにもそれなりに使えるリスニング用」があるといい。

という訳で、私は「リスニングにもそれなりに使えるモニター用」と「モニターにもそれなりに使えるリスニング用」とを使っている。
まあ結局二台買ってしまってるんだけどね!

モニター用のヘッドフォンとして恐らく最も有名なのがSONYの「MDR-CD900ST」という機種だ。
MDR-CD900ST
モニター用のヘッドフォンの購入を検討するときは、先ずは一番最初にこれを検討すべき、という程にモニター用としてよくできたヘッドフォンだと思う。
このヘッドフォンに自分の要求に合わない点を発見できた場合にのみ、他の機種を検討する、というふうに考えてもいいだろうと思う。
因みに私は3点、私の要求に合わない点を発見した。


  1. 私の耳は大きめで、この耳にとってはイヤパッドが薄過ぎ、装着すると耳が押し潰された状態になり、短時間なら問題無いが、長時間装着すると耳が非常に痛くなってくる。
    特に眼鏡をかけると、耳の押し潰された部分が眼鏡の柄に当たって更に痛くなる。

  2. 音質が硬くギラギラしていて、長時間使用すると耳が疲労して痛くなる。
    リスニング用途には全く適さない、音の粗探し専用の硬派な音だ。

  3. プラグがステレオ標準プラグ(大きい方のプラグ)であること。
    私の持っている音響機器はステレオ標準プラグとステレオミニプラグのものとが混在しているし、どちらかというとミニプラグの方がメインなので、できればミニプラグのヘッドフォンの方が有り難い。

またSONYには他にも同等のクラスのモニター用で「MDR7506」という機種もあり、そちらはミニプラグで、音も柔らかくリスニングにもそれなりに使用できるが、MDR-CD900STとほぼ同じ形なので、これも長時間の使用で耳が痛くなる。
MDR7506

モニター用で有名なメーカーには、SONYの他にaudio-techinicaやAKGもある。
audhio-technicaのATH-SX1は、音は好みだったがその他の、上で謂う1.と3.の点で私の要求には合わなかった。
ATH-SX1

あとは、AKGだ。
AKGにはセミオープン型のK141SK240S、密閉型のK171SK271Sとがある。
私は音漏れ防止と防音性の高い密閉型が好きだ。
そして耳がすっぽり収まる方が好きだ。
K171Sは耳乗せ型なので、私にはK271Sが合う。
K271S
「リスニングにもそれなりに使えるモニター用」だ。
好い点を挙げよう。

  1. 音はモニター用として非常に優秀であるが硬過ぎず、リスニング用としてもそれなりに使用できる。これ重要。
    長時間の使用にも聴覚的に耳が痛くならない音質。
    深夜の長時間の作業にも優しいぜ!

  2. 耳をすっぽりと収めることができるイヤパッドにはそれなりの厚みがあり、耳の大きな私でも耳が潰れることがない。
    つまり痛覚的に耳が痛くならない。

  3. プラグがステレオミニプラグで、ステレオ標準プラグに変換する変換プラグも付いている。

  4. 軽い。見た目は重そうだが。

  5. 頭からヘッドフォンを外すと音がミュートされる「オートミュート機能」がついている。
    これ意外と便利。

  6. コードが着脱式。
    ヘッドフォンをしたまま席を外すことができるように、との目的かも知れないが、どちらかというとコードを簡単に交換できるという点に私はメリットを見出している。
    コードが断線したときにすぐに交換できるし、また別売りでカールコードもあるので、それに交換することもできる。
    因みに私は殆どの場合でカールコードを使用している。
    イヤホンジャックが近くにある環境で作業する場合は、カールコードを使用すればコードが絡まる心配をしなくてよいのが非常に便利だ。

悪い点。

  1. 密閉性が高いので、夏場の暑い場所での使用は耳が蒸れるだろう。

  2. 買って一番最初に少なくとも数時間、できれば丸一日程度のエージング(音をしばらく鳴らしっぱなしにして中の振動板を慣らす作業)が必要。
    これ無しに聴くと音がショボくてビビる。
    あとエージング時にオートミュートがかからないように工夫する必要がある。因みに私は左耳部分にあるミュートスイッチにシャーペンの消しゴムのキャップを被せることで対応した。

  3. コードの被膜が結構破れ易い。
    特にプラグとコードの接続部。

  4. 側圧(頭を挟み込む力)はまあまあ強い方なので、頭の大きい人は注意が必要。因みに私の頭の大きさは標準的か小さい方だと思うので、私には寧ろ他のヘッドフォンの側圧が弱過ぎる。

  5. 見た目より軽いので、それで安っぽく感じるかも知れない。


また「モニターにもそれなりに使えるリスニング用」として、私はATA-A900を使用している。
ATA-A900
まあ名前も「アートモニターヘッドフォン」となっているし。
これが高級ヘッドフォン入門用として挙げられているのをよく目にする。
値段もAKGのK271Sとほぼ同等でそれなりに手頃だし、10000円以下クラスのヘッドフォンに慣れている人には、恐らく目から鱗が落ちる音が鳴る。
実際私がこれを買った当時は、それまでは私はPioneerの10000円以下クラスのものを使っていたのだが、これを聴いて、ヘッドフォンで音楽の音の隅々まで聴き分けることができるということに感動した思い出がある。
昔はもっと高かったような気がするんだけどなあ。今よりも金が無かったからそう感じるだけか?
このクラスのリスニング用ヘッドフォンの中では、リスニング用としての音質(「艶」と謂われる)とフラットさと解像度のバランスにおいて、私の知る限り恐らく最良のものだろう。
私はほぼ全てのジャンルの音楽を聴くので、ドンシャリ(低音域と高音域の強い)傾向のロック向けだとか中音域の豊かなクラシック向けよりも、フラットな特性のヘッドフォン一つで済ませたい。
ロックもクラシックもジャズもエレクトロもケルトもタンゴもカッワーリも聴く。
シャンソンもファドもブルースもガムランも映画音楽も同じように私には重要な音楽だ。
フラットな特性のヘッドフォンなのでこれら全てがそつ無く鳴る。
これらそれぞれにヘッドフォンを用意していたら私は直ちに破産してしまう!
まあとはいえ、世の中のリスニング用ヘッドフォンは大体、ドンシャリ、低音域重視(DJ用など)、中音域重視、フラットの四種類ぐらいに分類されるので、そのそれぞれを四つだけ揃えれば或は破産を免れることができるかも知れないが、私はそんなギリギリな生活をしたくはない!
またATH-A900は、フラットな音響特性で音の分離も良いので、モニター用としてもそれなりに使用することができる。
録音モニターや粗探しというよりも、仕上げ時に全体のバランスを整えたいようなときに使用するといいだろう。
あと、頭を押さえている部分が特殊で、普通は余り気にならないし、寧ろ動いても余りずれないようになっているのだが、寝転がりながら聴くのには向いていないようだ。

では奇しくも手元に同価格帯で「リスニングにもそれなりに使えるモニター用」(AKGのK271S)と「モニターにもそれなりに使えるリスニング用」(audio-technicaのATH-A900)のヘッドフォンがあるので、聴いた感じを一寸比較してみよう。
モニター用としてはK271Sの方が優れているし、リスニング用にはATH-A900の方が優れている、ということは確かだ。
殆どの場合、音を分析的に聴くのにモニター用のヘッドフォンが欲しい人はK271Sを選んだ方がいいし、普通に音楽を楽しみたい人はリスニング用のATH-A900を買った方がいい。
但し、或種のエレクトロではK271Sを使用した方が好い、ということもあることはある。
それを踏まえた上で違いを書き出していこう。

  1. K271Sは音が近く、耳元で鳴ってる感じ。
    ATH-A900は音が遠くから音が広がって聴こえる。
    特に低音域は、ATH-A900の方が顕著に広がって聴こえる。
    これによって人は音楽に包まれているような感覚を引き起こされるのだが、これをモニターとして見るなら「低音がぼやけている」となる。
    一番大きな違いはここだろう。

  2. 中高域はK271Sの方が出ている。
    これによって音の密度が濃く聴こえ、特に女声ヴォーカルで、奥行きが少なくより前に出ているように聴こえる。

  3. 高音域はどちらも十分に出るが、超高音域に関してはATH-A900の方がより多く出ているように聴こえる。
    ATH-A900の方は高音域に少々特徴がある。
    ロックなどでシンバルにシャリシャリ感が出る。

  4. 中低域辺りがATH-A900の方が引っ込んでいて、これが音の過剰な飽和感を抑制している。

全体的に見て、音の迫力はリスニング用であるATA-A900の方が上だ。
また細かいエフェクト処理も確っかり聴こえるという点ではモニター用のK271Sの方が上だ。
まあそりゃそうか。
両方共、長時間音楽を聴き続けても耳が疲れないような音である。

因みにAKG.comによると、K271MKⅡなるものがそのうち出るのそうだ・・・。

2008/03/18 (Tue)

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西洋音楽史:岡田暁生

音楽を愛する者が音楽の歴史について知っておくことは重要なことだ。
おお。そうですかい。
宜しい、なら良い本がある。

西洋音楽史
西洋音楽史:岡田暁生

大した記譜法も無かったグレゴリオ聖歌の時代(大体600年ぐらい)から大体1960年代ぐらいまでの西洋「クラシック」音楽史、つまりタワレコの「クラシック」売り場にあるような音楽の歴史が新書一冊にまとまっているという、なかなか有り難い本だ。
内容も平易で、クラシック音楽について特に知識を持っている訳でもない人やそもそもクラシック音楽の愛好家でもない人にもそれなりに理解できるように書かれている、と思う。
然し私は特に、クラシック音楽を少しは聴き慣れた人で、(クラシック以外も含む)音楽についての自分の見識を広げて音楽というものをより深く理解しようとしている人にお勧めする。

大体、中世教会音楽、ルネサンス、バロック、バッハ、古典派、ベートーヴェン、ロマン派、ワーグナー、ポストワーグナー、1910年代、ポストモダン、1950年代以降、という流れで書かれている。
まあ他にも新書でクラシックの通史を一冊にまとめて書いてある本もあるが、新書では恐らくこれが一番有用な本であろう。
因みに新書で他には、例えば文庫クセジュの「音楽の歴史」もある。
これもグレゴリオ聖歌の一寸前から1940年代あたりまでのクラシックの歴史だが、ロマン派の後には殆ど触れられていないし、書かれた時代が古いらしく、内容も少々古臭い。
著者はフランス人で、フランスの音楽史にやや重点が置かれている。(何故かクセジュの音楽関係の本はフランス系のが多い気がする。そしてベルリオーズドビュッシーをやたらと賞賛したがる。)
日本では恐らくクラシックと言えば古典派より前のイタリアか古典派以後のドイツ、というのが一般的かと思うので、これでフランス音楽史の知識も増やすこともできるだろう。
このレベルの本でラモーリュリに或程度の紙面を割いて触れられているのは少ないと思うので、読む価値はある。
また、歴史を淡々と記述している感じで、どちらかと言うと教科書的口調だ。

それに対して岡田暁生版は、歴史も勿論ちゃんと追っているが、淡々と歴史をというよりは、彼自身の考えも結構色濃く出ている。
この辺は歴史を知りたいだけの人は気を付けて読まないと不可ないと思うが、まあ、大体私が考えてることと似たようなことが書かれているので、私は少し好感を抱いたが。
例えばグレゴリオ聖歌がヒーリングというよりは寧ろ恐れから来ていると考えるという点とか、「ほんとそーっすよねー」と思う。
只音楽の歴史を並べているというよりは、現代の我々が現代において、その歴史上の音楽に対してどのような身の振り方をすればいいのか、ということについても色々考えていることもちょくちょく書かれている。
寧ろ岡田暁生の西洋音楽史論として読んでも面白いだろう。
ロマン派の終わりの後の所謂「現代音楽」についても書かれており、現代に生きる我々が「現代音楽」に対して我々はどのような身の振り方をすればいいのかといったことについての考察もそれなりに書かれている、という点は、この種の本にはなかなか無いことで、この本を読む価値を高めている。

因みに現代人がクラシック音楽を含む音楽に対してどのような身の振り方をすればいいのか、という点についての考察は、他にも新書で、作曲家の芥川也寸志の「音楽の基礎」という本があるので、それも一読しておくことをお勧めする。
岩波新書の緑のやつだ。
音楽の基本を、新旧のクラシック音楽を引き合いに出して解り易く解説するのがこの本の主な仕事だが、それに加えて、「創造するという営みこそが音楽の基礎なであり、また音楽を(単なるBGMにするのではなく)自ら積極的に音楽を聴く或は聴かないという行為はその創造的活動の一端を成している」というようなことや「リズムは音楽の基礎であると同時に生命に関するものである」というようなことが書かれていて、私は当にその通りだと思うので、非常に好感を持っているし、たとえ違う考えを持っていてたとしても非常に有用な本である。
まあ1970年代始めの古い本なので、他の部分で考えの多少古臭いところも見られるが。


では何故音楽の歴史を知ることが大事なのか。
歴史など知ろうが知るまいが、音楽なんてものは、各個人の、聴いて感じたものがその全てではないのか?
或はせいぜい新しいCDを買うときのガイドぐらいにしかならないのではないのか?
否。

音楽を聴くと、何らかの感じを受ける。
それは確かだ。
然しこの感じは、単に個人的なものでしかないのだろうか。
クオリア好きの人達なら、この感じが個人的なものであるということに大いに賛成するであろう。
然し私はクオリア論に大した意味を見出していない。
何故なら我々人間の身体構造が非常に似通っているだけでなく、我々は言語を持っているし、言語を以てあるとか無いとか有意味だとか無意味だとか言うことができるからだ。
我々は言語を共有することによって「意味」のあることを記述したり、それについて然りとか否とか言うことができるようになるのだ。
若しクオリアが原理的に私的なものでしかないのなら、そんなものは完全に無意味だし、我々が自分のクオリアについて一言でも語り得るなら、クオリアが特別にどういう問題を孕んでいるのか全く理解できなくなる。
クオリア問題と呼ばれているものは、例えば「痛い!」から痛みのクオリアだけを抜き出して、それを宛も言語や行為や意味から完全に切り離せるかのように語るからおかしなことになっているだけだ。

  • クオリア論に対する反論については、例えばデネットの著作物を読むとよい。


音楽を含む芸術は、単にそれを観たり聴いたり読んだりした人の気分が良くなる為だけにあるものではない。
芸術は、全く以て私的な存在ではなく、我々の生活世界における意味を持っているのである。
意味を持っているとは、一つには、それを他の有意味なものと関連付けることができる、ということを含意している。
或は意味を持っているということは、その意味を人々の間で共有することが可能だということも含意している。
若し芸術が有意味だとすれば、我々は芸術について「語り」、「理解する」ことができるのである。
ウィトゲンシュタインを読み間違えた人や禅宗かぶれの人達が、「それについて一切語ることはできないが有意味である」というふうに口を滑らすことがよくあるが、そういう人には「じゃあ今あなたは何を言ってるのですか」と訊き返してみるといい。)
理解するには理解されるものとそれを「理解した」と言える一定の基準が必要で、我々は無意味なものについて「理解する」ことはできないし、世界で唯独り、原理的に自分だけがそれを「理解する」ことができるような「理解」や「意味」など無い。
  • 然しながらこのことについて十分に説明すると余りに長くなってしまうので、こういった考え方をより詳しく知りたい人は、特にリチャード・ローティ或はその弟子のロバート・ブランダムの著作物を読むことをお勧めする。
    私は殆ど彼等の劣化コピーです。


我々は音楽の意味を共有することができる。
そして共有を拡張することによって、その意味を修正したりより強靱にしたりすることができる。
然しその共有をより強固なものとするには、或程度の語彙も必要である。
歴史は、その語彙を提供する。

また歴史は、今普通に受け入れられている語彙がどのようにして成立したのか、或はどのような変遷をたどってきたのかを説明する。
それによって、例えば自分の受け入れている語彙が現在の要求に本当に応え得るものなのかについて反省する為の糸口を見出すのに役立つ。
或は現在は余り一般的ではない歴史上の語彙を発掘して現代に適応させることもできるかも知れない。
歴史は、現在に生きる人の思い込みを修正するきっかけを与えるのにも役立つ。
勿論間違った歴史は、間違ったものに間違った正統性を与えてしまう可能性があるが。
歴史書は、色々読んだ方がより良い。

2008/03/10 (Mon)

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Ludwig D. Omen

name: Ludwig D. Omen

ペンとギターとコンピュータを主に使用する。
プラグマティックなロマン主義者。

私は総ゆる種類の音楽に開かれている!
然し音楽的実力は一向に伴わず。
只平坦な毎日を無為のうちに過ごしている。

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